本当にしたい事


4月13日(木)の事だった。

どうってことないその瞬間僕の直感が、今進もうとしているこの生き方は違う気がすると叫んだ。


大学に入ったのは丁度三年前。

ということで、四月から僕は大学4年目を迎えたのだった。

入学当時の僕は、大学院に進学し、臨床心理士の資格を取るのだと息巻いていた。どうして臨床心理士だったのか簡素にいうと、人の心の支えになりたかったのだ。


もちろん、これは漠然たる思いでしかなかった。だけど高校生だった僕がその思いに至ったのは、幼なじみの女の子の存在が大きかったからだ。


その子はとても心の優しい女の子だった。こんな書き方をすると、もしかしてその子が命を絶って・・・などと思われるかもしれないが、そういうわけではない(笑)

ただ、人に優しすぎる彼女は、いつも自分の事は二の次で、周りの人の事ばかり気にしていた。時にはその苦しみから、カミソリに手を伸ばしたこともあった。

僕は、仕事とかどうでもよく、ただそんな彼女の、支えになりたかったのだ。



2月頃の事だった。

地元の小さな田舎町に両親と暮らす彼女から、突然連絡が途絶えた。というよりも正確には、もう連絡してこないでと拒絶されたのだ。当時の僕は、20年来の付き合いなのに何を唐突にと、正直怒りの感情が先んじていた。大人気なくも彼女を自分も拒絶し、それから一切、彼女がどうしているかはわからなくなった。



その一件から数日、僕は何故カウンセラーになろうとしていたのか急にわからなくなり、自問自答を繰り返した。

臨床心理士のもつ意味は、「治療者」だ。少なくとも、うちの大学ではそう教えていた。


病院や学校等の施設で、問題を抱える人の心を治療するのだ。それは一種の、自己犠牲的な奉仕でもある。人の心に耳を傾け、様々な不のエネルギーをその身一つで受け止めなくてはならない。ゆえに、カウンセラー自身がとてつもないストレスに晒される。



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昔、週間少年ジャンプで少しの間連載されていた、『ダブルアーツ』という漫画があった。「トロイ」という触れるだけで感染する謎の病に苦しんでいた人々を救うのは、「シスター」と呼ばれる少女達。彼女らは一見治療者に見えるが、実は患者の中の「トロイ」を自らの体の中に受け入れ留めているにすぎないのだ。たまたま人よりも耐性が強いため、人々からは治療者に思われているが、「シスター」達は病の苦しみをその細い体一つに抱えながら、人目を避けてヒッソリと生涯を閉じる。


ふとその物語を思い出した僕は、何となくカウンセラーという存在が「シスター」のようではないかと思えた。本当に、かけがえのない、とても素晴らしい仕事だ。



だけど、僕の心にあったのは、自分がしたかったのはそういう事なのかという思いだった。


誰かの支えになりたい。そう思っていることは勘違いなんかじゃない。


だけど、幼なじみはさておき、僕の人生を支えてくれたのはカウンセラーではなかったと思い出した。



僕は子どもの頃から人が好きだった。だけど人見知りが激しく、打ち解けるまでは心を開かない子どもだった。どうしてかははっきり言える。


僕は顔中に、生まれつき痣を持っている。赤あざ、血管腫とも言われるらしいこの病気は、人体に害をなすものではないのだが、傍から見ると実に痛々しい。そんな自分の見た目がコンプレックスだったのだ。幸い、周囲にその事で虐めて来る人はいなかったし、中身を見てくれる人がたくさんいた事は、本当に恵まれていたと思う。


だけど、どこか感じていた「自分は人と違う」という感覚に、僕は次第に押し潰されるようになる。



そんな僕に、夢や希望を教えてくれたのは、マンガや小説、アニメの中のキャラクター達だった。懸命に生き、どんな試練にも立ち向かい、愛に溢れた創作物の中のキャラクター達。彼らの存在は、僕の中では決して架空の存在では片付けられないほど大きなものになっていった。



そうだ。そうだ。

僕がしたかったことは、物語を通して、人の支えになる事じゃなかったのか。



4月13日、僕の心を打ち続けていた思いの正体は、これだと気づいた。


臨床心理士になろうという思いは、僕の中では本当の自分の声ではなかった。現実的な話、両親に物語を書きたいとは言えず、それ以外の道を闇雲に求めた結果が、カウンセラーという職業なだけだった。


そういう訳で、今から遅いスタートではあるけれども、物語を紡いでいければと思う。なにぶん思いつめがちな僕だから、このブログはちょっと変わった自分探しのためのツールとして使う事にしよう。うん。